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あいすまん

あいすまん

詩集『idol』の評価

各誌の書評より(資料)

①詩集『idol』評

●第8回中原中也賞 最終選考評(『ユリイカ』2003年4月号 青土社 2003.4.1)
    (最終選考に残った詩集は7冊。受賞作は中村恵美『火よ!』書肆山田 2002)
荒川洋治
 宮城隆尋『idol』は、第四回の候補詩集より進境を示してはいるものの、「なまの叫び」を超えていない形跡がある。十代を終えてまもない人だから、これからも期待できると思う。
  ―選評「『白い』詩集」より抜粋。
北川透
 宮城隆尋の『idol』は、積極的に推す人がいなかった。ただ、わたしはこの二十二歳の若者が身体の中に潜ませている、世界への恐怖、焦燥、殺意のようなものに、突き動かされるものを感じる。それはどんな知識によっても、学習によっても掬い取れない、世界を痛々しく感じる資質、能力のようなものだからだ。これがあるが故に貧しさを強いられるが、希少価値であることに変わりはない。当然のように彼の無意識のなかの盲動に触れていくことばは、ダダ的な破壊の意志に満たされている。この粗野で幼い野生の言語の敵は、おそらくみずからの倨傲であろう。ことばが生き残る術を研いでほしい、と思う。
  ―選評「ヒダリへ」より抜粋。
中村稔
 宮城隆尋の詩集は生硬であり、観念的で、一度この作者はその内心に思いを潜めてみる必要があるのではないかと感じていた。選考会の席上、北川透さんから宮城隆尋の詩集は、粗野とはいえ野心的、刺戟的であり、ことに二十二歳という年令を考えれば、作者の未来に賭けてみてもよいのではないか、という趣旨の発言があった。しかし、私はこのような詩集に中原中也賞を贈ることはかえって作者を甘やかし大成を妨げるのではないかと考え、北川さんの意見には同感できなかった。
  ―選評「対象から紡ぎだすイメージの構築物」より抜粋。


●和合亮一 詩書月評「流れる水のように彼岸をさすらえ、あるいは洞窟に行きたまえ」『現代詩手帖』2003年3月号(思潮社 2003.3.1)より抜粋。

 詩の骨格が新鮮である。宮城隆尋の『idol』(孤松庵)。ザラザラとした言葉の投網を、意欲的に投げ込もうとしている。普通では力を入れないところに、激しい力を込めて書いている。集中で最も、直接的にそれが顕在化している作品を引く。「俺はお前に辿り着けない/俺はこの先も俺でいられるかはわからないが/千年ぐらい歩けばお前がもっとよく見えるだろう/地平線だって少しは近づくだろう/死んだって叶いはしない気休めを武器に/」

  俺は死ぬまで遠回りし続けるんだ

  空回りする抜け殻の言葉を背負って
  死んだって辿り着けないお前を目指して
  死ぬまで回り道し続けるんだ
  死んだって辿り着けないなら
  辿り着けないことに命を燃やすんだ
  そうすればいつかきっとお前のいる場所に辿り着ける   (「会えないお前に」より)


●「」『詩と思想』(土曜美術社出版販売 2003)より抜粋。

●鈴木茂男「BOOKS」(書評)『潮流詩派』195号(潮流出版社 2003.10.1)より抜粋。

 宮城隆尋詩集『idol』 著者は一九八○年生れの沖縄の詩人で、早くも第三詩集である。「わたしはどこへ」という詩は、世界各国を擬人化しつつ、自分探しをテーマにしている。感性を外界に開いている若手だ。



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